ランス「フジタ礼拝堂」、藤田嗣治の最後の作品

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フランス、ランスの街にある「フジタ礼拝堂」は、日本人画家・藤田嗣治の最後の作品です。

フランス国籍の取得、カトリック改宗を経て、晩年のフジタが全身全霊を捧げて完成ました。

フジタの人生とランスの街、シャンパーニュの関わりに触れながら、フジタ礼拝堂の見どころを紹介します。

※この記事では、フランス国籍取得後の藤田嗣治の話題が中心になるため、主に「フジタ」表記を採用します。

目次

フジタ礼拝堂

Chapelle Foujita(フジタ礼拝堂)は、フランスで活躍した日本人画家・藤田嗣治が作った礼拝堂です。

正式名称は「La chapelle Notre-Dame de la Paix(平和の聖母礼拝堂)」。

フジタは、礼拝堂内の壁画を描くだけに留まらず、建物の構想・設計から装飾の細部に至るまで、全てを手がけました。

晩年のフジタが全身全霊を捧げて完成させたフジタ礼拝堂は、フジタの「最後の作品」としても知られています。

La chapelle Notre-Dame de la Paix(平和の聖母礼拝堂)

通称:「Chapelle Foujita(フジタ礼拝堂)」

  • 住所:33 rue du Champ de Mars – 51100 Reims
  • 開館日時:
    • 5月2日〜9月30日(他の期間は、団体(20名以上)のみ見学可。要予約)
    • 10時~12時、14時~18時
  • 休館日:
    • 火曜
    • 7月14日
  • 見学料:
    • 正規料金 5,50€
    • 18歳以下・25歳以下の学生(要学生証)は無料
    • 毎月第1日曜日は無料

※2024年8月時点の情報です

筆者

敷地・建物内を見学できるのは観光シーズンの5か月のみです。フジタ礼拝堂の内部を見学したい方は、訪問時期に注意してください。

フジタとシャンパーニュの関わり

日本人画家・藤田嗣治が、なぜフランス・シャンパーニュ地方のランスの街で礼拝堂を建てたのでしょうか?

フジタの生涯と、フジタの支援者となったマム社長ルネ・ラルー氏との出会いを紹介します。

フジタの生涯

YouTube “Les neuf vies de Foujita – Culture Prime” @France tv arts

藤田嗣治(ふじた・つぐはる)の生涯を年表にまとめました。

1886年11月27日東京生まれ。父は陸軍軍医。
1910年東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業。
1913年渡仏。パリのモンパルナスに居住。パリ画壇に参加。ピカソ、モディリアーニらと親交。
1921年サロン・ドートンヌ(秋季展)にて注目を集め、「乳白色の肌」シリーズで成功を収める。
1925年フランス政府よりレジオンドヌール勲章を授与される。
1931年世界ツアーに出発。アメリカ、中米、南米、中国、インドシナを巡った後、日本へ凱旋帰国。
1935年堀内君代と結婚する。
1939年君代夫人と一緒に、パリに戻る。
1940年5月23日戦況悪化のため、フランスを出る。
1940年日本に帰国すると、戦争の公式画家となる。
1949年フランスに戻るために、アメリカでビザを取得する。
1950年2月14日パリに到着する(その後、藤田が日本に戻ることはなかった)。
1955年2月28日フランス国籍を取得
1959年6月18日ランスのサン・レミ聖堂を訪れ、キリスト教徒になる意志を示した。
1959年10月14日カトリックに改宗。洗礼式はランス・ノートルダム大聖堂で行われた。「レオナール・フジタ」の洗礼名を授かる。
1961年パリ郊外、エソンヌ県ヴィリエ・ル・バクル村にある自宅兼アトリエに引越。
1966年ランスに「フジタ礼拝堂」を完成させる。
1968年1月29日スイス・チューリッヒにて死去(81歳)。ランスのフジタ礼拝堂に埋葬される。
筆者

フジタがランスの街と関わるようになったのは、亡くなるまでの10年ほどで、それほど長い期間ではありません。

マム社長ルネ・ラルーとの出会い

藤田嗣治(左)と当時のマム社長ルネ・ラルー(画像引用:L’UNION

フジタ礼拝堂は、当時のシャンパーニュ・マム社長ルネ・ラルー氏の友情と支援なくして実現できませんでした。

René Lalou(ルネ・ラルー)

René Lalou(ルネ・ラルー)

1877年パリ生まれ。弁護士・実業家。1904年食前酒として有名な「Dubonnet(デュボネ)」家の娘Marthe(マルト)と結婚、1940~1957年デュボネを経営。1935年Champagne G.H.Mumm & Cie社長就任。1959年Champagne Perrier-Jouët社長就任。1973年没。

※参照:Wikipedia “René Lalou (avocat)

フジタとルネ・ラルー氏の出会いは、1950年代に遡ります。

1957年、マム(Champagne Mumm)社長だったルネ・ラルー氏は、自社のロゼ・シャンパーニュのイメージを強めるために象徴となるものを探していました。

ルネ・ラルー氏の依頼を受けた藤田が水彩画で描いた絵が「フジタのバラ」です(詳しくは、後述「ロゼ・フジタ」)。

1959年にランス・ノートルダム大聖堂で行われたフジタ夫妻の洗礼式では、ルネ・ラルー氏が代父を務めています。

フジタ礼拝堂建設にあたり、ルネ・ラルー氏は土地を寄贈、建設を全面的に支援しました。

1967年6月19日、ルネ・ラルー氏はフジタ礼拝堂をランス市に寄贈しました。

筆者

ルネ・ラルーと聞いて、「人物」ではなく「ワイン」を思い浮かべる方もいるかもしれません。

マム社は、ルネ・ラルーに敬意を表し、その名を冠したヴィンテージ・シャンパーニュ「キュヴェ・ルネ・ラルー」(1966~1985年ヴィンテージ)を製造・販売していました。

2007年にマム社はキュヴェ・ルネ・ラルーを復活させました(2002年ヴィンテージ)。

現在は、同社の最高級シャンパーニュ「RSRVキュヴェ・ラルー」として製造・販売されています。

ロゼ・フジタ

マム社のロゼ・シャンパーニュには、1958年以来フジタが描いた「バラの花」があしらわれています。

2018年マム社は、フジタ没後50周年のタイミングで、ロゼ・シャンパーニュ「Rosé Foujita(ロゼ・フジタ)」を発売しました。

ロゼ・フジタの瓶には、バラが描かれた首飾り(コルレット)が掛けられています。

ボトルの首部分にフジタ作「バラ」の花が飾られている。ラベルには「ロゼ・フジタ」と記載されている。

マム社が製造・販売するロゼ・シャンパーニュ2種類のうち、ロゼ・フジタは最上品。

グランクリュのブドウのみを使用して作られています。

筆者

シャンパーニュのコルクを抑える「王冠」(プラック・ド・ミュズレまたはキャプシュル)にもフジタ作「バラ」が描かれています。王冠コレクターや日本人ワイン愛好家に有名な王冠デザインのひとつです。

フジタ礼拝堂の見どころ

フジタ礼拝堂の外観

フジタ礼拝堂(正式名称「平和の聖母礼拝堂」)は、シャンパーニュ・マム(Champagne Mumm)のカーヴ見学ができる建物から、目の前のシャン・ド・マルス通り(rue du Champ de Mars)を渡った右斜め前にあります。

フジタがかつて訪れたプロヴァンス地方とブルターニュ地方の田舎の教会を参考に設計したロマネスク様式の礼拝堂は、素朴な佇まいです。

フジタ礼拝堂の内部

礼拝堂の中に入ると、壁の四面がフレスコ画とステンドグラスで埋め尽くされています。

淡い色調と柔らかな線で描かれたフレスコ画と、ステンドグラスから差し込む光が相まって、明るい印象を受けます。

フジタは、伝統的な技法「フレスコ」に80歳で初めて取り組みました。

「フレスコ」の技法
  1. 作業を行う分量の漆喰を壁に薄く塗る
  2. 下絵を写す
  3. 漆喰が乾ききらないうちに描く
  4. 絵の具が漆喰に染み込んで定着する

フレスコは、一度描いたらすぐに乾いて固まってしまうため、後から描き足しができない。だから影などを加筆して、画面に深みを出すことが難しい。さっと形を描いて、それで終わりというような描き方になってしまう。もちろん、フジタはあえてフレスコ画の技法を選び、挑戦したわけだ。フジタにとって新しい技法だから、その絵が放つ雰囲気もフジタの絵の中では、これまでにないものになる。

引用:『藤田嗣治がわかれば絵画がわかる』布施英利著、NHK出版新書

80歳のフジタは、3ヶ月(1966年6月3日〜8月31日)で、すべての絵を描き上げました。

毎朝7時に起きて、1日に何度も脚立を上り下りしながら絵筆を取り、寝食も忘れて制作に没頭、時には深夜まで作業することもあったそうです。

筆者

フジタ礼拝堂の中に入ってまず思うことは「明るくて優しい雰囲気」。一方で、80歳のフジタが全身全霊ですべての絵を完成させたことを思うと、並々ならぬパワーも感じます。国籍も宗教も変えて身も心もフランス人になったフジタが西洋のフレスコ画法で真っ向勝負しつつも、所々に東洋や日本の要素が垣間見えるのも、興味深い点だと思います。

平和の聖母マリアとイエス

Notre-Dame de la Paix et l’Enfant Jésus(平和の聖母と幼子イエス)

建物内部の正面にある祭壇の後部、ドーム状にくぼんだ壁に描かれた絵は「平和の聖母マリアと幼子イエス」。

礼拝堂の正式名称の由来「平和の聖母(Notre-Dame de la Paix)」の絵が礼拝堂の中心に据えられています。

聖母マリアを囲む女性と子供の中に、フジタの妻・君代さんがひざまずく姿も描かれています。

右から2番目の女性が君代夫人

またこの絵の左下には、フジタ礼拝堂の建設に携わった人々の名前が記載されています。

寄贈者

ルネ・ラルー

レオナール・フジタ

*****

この礼拝堂はL.フジタによって考案された。設計、彫刻、装飾、ステンドグラスは、彼(フジタ)の作品である。例外は、彼の舵取りのもと(以下の人たちに)委ねられた:モーリス・クロージエ(建築家)、シャルル・マルク(ガラス職人)、モーリス・シケとアンドレ兄弟(彫刻家)。

筆者

ガラス職人シャルル・マルクといえば、ランス・ノートルダム大聖堂のシャガールがデザインしたステンドグラスを制作した人物としても知られています。

キリストの磔刑

La Crucifixion(キリストの磔刑)

入口扉側の壁をすべて使った迫力のある絵は「キリストの磔刑(たっけい)」。

十字架にかけられたキリストの足元には、縁のある弟子や聖人が描かれていますが、その中にはフジタの支援者であるルネ・ラルー氏フジタ自身の姿もあります。

フジタは生涯に何枚か自画像を描いていますが、これが最後の自画像となりました。

ルネ・ラルー(左から2番目)とフジタ(右から2番目)

ブドウ収穫の聖母マリア

Notre-Dame des Vendanges(ブドウ収穫の聖母マリア)または Madone des Vignes par Foujita(フジタによるブドウ畑のマドンナ)。左奥にランス・ノートルダム大聖堂、右奥にサン・レミ聖堂が描かれている。

礼拝堂内に入って、左側にある数段の階段を降りたところにある絵が「ブドウ収穫の聖母マリア」。

ワイン樽の上に腰掛けた聖母マリアが、左腕に幼子イエスを抱きながら、右手に1房のブドウを持っています。

背景には、フジタが洗礼を受けたランス・ノートルダム大聖堂、改宗を決心したサン・レミ聖堂も描かれています。

筆者

宗教画でありながら、シャンパーニュらしさやフジタの思い入れも込められたようなユニークな絵です。白ブドウ、黒ブドウが描き分けられていて(シャルドネとピノ・ノワールなんだろうなァ)と思わせてくれます。

フジタ夫妻の墓

フジタ礼拝堂の中には、フジタ夫妻のお墓があります。

礼拝堂に入って、右側の壁のくぼみにある一段高いところに石碑が刻まれています。

レオナール・ツグハル・フジタ(1886年東京生まれ)と妻マリー・キミヨ・フジタ(1910年茨城生まれ)がここに眠る

1913年 レオナール・ツグハル・フジタがパリに到着

1936年 2人が結婚

1955年 夫妻がフランス国籍を取得

1959年 ランス大聖堂で夫妻が洗礼式

1965年 礼拝堂のフレスコ画の完成

1968年 レオナール・ツグハル・フジタがチューリッヒで逝去

2003年 レオナール・ツグハル・フジタを礼拝堂に埋葬(先にヴィリエ・ル・バクルに埋葬)

2009年 マリー・キミヨ・フジタが東京で逝去。本人の希望により礼拝堂に埋葬。

藤田君代
晩年の君代夫人(フジタ礼拝堂の展示写真を撮影)

藤田君代(ふじた・きみよ)

1911年、茨城県生まれ。旧姓・堀内(ほりうち)。日本橋の料亭で仲居をしていた君代を、日本に滞在中のフジタが見初めて1936年に結婚。フジタは50歳、君代は25歳だった。フジタとは親子ほど年の違う君代は、フジタの5番目の妻にして、最後の妻である。フジタと共に、カトリックに改宗。洗礼名はマリー・フジタ。フジタが亡くなるまで、31年の結婚生活を送った。夫妻に子供はいない。フジタの死後、君代はフジタ作品の普及・保護に尽力した。2009年没(98歳)。

最後の晩餐

フジタ夫妻のお墓があるドーム状の壁に描かれている絵は「最後の晩餐」。

「広島」のステンドグラス

「最後の晩餐」とフジタ夫妻が眠る墓を挟むように設置された2枚のステンドグラスは、フジタが「戦争の悲惨さ」を伝えるべく制作、特に原子爆弾が投下された「広島」を呼び起こしたものです。

フランスでフジタを訪ねる

シャンパーニュ・マム

フジタ礼拝堂を訪れるなら、藤田嗣治と縁の深い「マム(Champagne Mumm)」のセラー見学をおすすめします(有料・要予約)。

ワイナリー見学予約サイト「Winalist」から予約すれば、期限前ならキャンセル無料です。

\ 日本語で予約手続 /

筆者

セラー見学と試飲の後、併設ショップで「フジタ・ロゼ」を購入できます。

Champagne Mumm(シャンパーニュ・マム)

住所:34 Rue du Champ de Mars, 51100 Reims

シャンパーニュ・テタンジェ

藤田嗣治といえば、マム(Champagne Mumm)との関係が深いのですが、実はテタンジェ(Champagne Taittinger)とも縁があります。

藤田嗣治・君代夫妻がカトリックに改宗するための洗礼式で代母を務めたのは、テタンジェ社長夫人、ベアトリス・テタンジェでした。

テタンジェのセラーは見学可能です(有料・要予約)。

ワイナリー見学予約サイト「Winalist」から予約すれば、期限前ならキャンセル無料です。

\ 日本語で予約手続 /

Champagne Taittinger(シャンパーニュ・テタンジェ)

住所:9 Place Saint-Nicaise, 51100 Reims

ランス・ノートルダム大聖堂

ランス・ノートルダム大聖堂の洗礼式に臨む藤田嗣治(引用:INA”Le baptême de Foujita“)

ランス・ノートル・ダム大聖堂は、藤田嗣治・君代夫妻がカトリックに改宗する洗礼式を行った場所です。

筆者

フランス国立視聴覚研究所(INA)公式サイトで、藤田嗣治の洗礼式(Le baptême de Foujita)の様子を映した動画を観ることができます。また、インタビューにフランス語で答えるフジタの肉声、絵を描く姿も収録されています。興味のある方はぜひご覧ください。

ランス・ノートルダム大聖堂では、ガイド付きのツアー(英語、有料・要予約)に参加するのもおすすめです。

\ 24時間前までキャンセル無料 /

Cathédrale Notre-Dame de Reims(ランス・ノートルダム大聖堂)

住所:Place du Cardinal Luçon, 51100 Reims

ランス美術館(閉館中)

ランス美術館には、数多くのフジタ作品が収蔵されています。

2019年9月から改装のため閉館中で、2026年に開館予定。

筆者

現在、ランス美術館を訪れることはできませんが、ランス美術館公式サイトで収蔵作品をオンラインで閲覧することができます。「foujita」の検索結果は、868作品(2024年8月現在)。その中には、フジタ礼拝堂の構想や下絵なども含まれています。

Musée des Beaux-Arts de Reims(ランス美術館)

閉館中。2026年開館予定。

住所:8 Rue Chanzy, 51100 Reims

フジタの自宅兼アトリエ(パリ郊外)

パリ郊外のヴィリエ・ル・バクル村にあるフジタの自宅兼アトリエ(引用:Maison-Atelier Foujita

農家の家を、購入したフジタが改装した。

キッチンや居間など藤田夫妻が暮らしたままに保存されています。

屋根裏部屋は「アトリエ」で、画材道具だけでなく大工道具やミシンもあり、あらゆる創作の場だったようです。

屋内には、日本のレコードや炊飯器もあり、フランスに帰化した後も、日本を忘れなかったのかもしれません。

Maison-atelier Foujita(フジタの自宅兼アトリエ)

  • 住所:7/9 route de Gif, 91190 Villiers-le-Bâcle
  • 電話:01 69 85 34 65
  • 見学料:無料(希望者には日本語、英語のオーディオガイドあり)
  • 見学時間:
期間曜日時間
6月1日〜9月30日
8月は土日のみ
火〜金(要予約)9:30〜16:30
土・日(予約不要)13:30〜18:30
10月1日〜5月31日火〜金(要予約)9:30〜16:30
土・日(予約不要)13:30〜17:30
  • パリからのアクセス(公共交通機関を使う場合):
パリ
  • 電車:RER B線
  • Saint-Rémy-Lès-Chevreuse方面に乗車
  • パリ北駅からx分、シャトレ駅からx分
  • 乗車料金x€(二等車)
Massy-Palaiseau駅
  • sortie 1 (1番出口): Ramolfo Garnierを出る
  • バス(Saint-Quentin-en-Yvelines行):
    • 平日は、バス 91-11
    • 土日祝は、バス91-10
停留所 Rond-Point Maison Foujita
  • 降車後は、徒歩
  • 村の広場まで直進→レストラン « La petite Forge » 正面で右折→ジフ通り(route de Gif)

※2024年8月時点の情報です。

フジタを知る

ここでは、フジタのエンタメ作品(映画・本)を紹介します。

映画『FOUJITA』

映画『FOUJITA』予告編 @KADOKAWA映画

映画『FOUJITA』(2015年)

  • 監督:小栗康平(『泥の河』、『死の棘』)
  • 出演:オダギリジョー、中谷美紀、加瀬亮、岸部一徳
Hulu

本『藤田嗣治がわかれば絵画がわかる』

この記事を書くにあたり、とても参考になった1冊です。

藤田嗣治の生涯と作風の変化がわかりやすく解説されています。

筆者

「フジタの影響は、今日の日本美術界においても大きいのです」と書かれた「あとがき」が興味深かったです。

まとめ

  • ランスにある「フジタ礼拝堂」は、フランスで活躍した日本人画家・藤田嗣治が作った礼拝堂
  • フジタ礼拝堂は、藤田嗣治の最後の作品
  • 藤田嗣治は、フランス国籍を取得・カトリックへ改宗後、フジタ礼拝堂を作った
  • フジタの最大の支援者は、当時のシャンパーニュ・マム社長ルネ・ラルー氏
  • ルネ・ラルー氏がいなければ、フジタ礼拝堂建設は実現しなかった
  • マム社のロゼ・シャンパーニュに描かれているバラの花はフジタの作品
  • 80歳のフジタは、フレスコ技法で礼拝堂内の壁画を3ヶ月かけて描いた
  • 宗教画の中に、フジタ自身のほか、妻君代や支援者ルネ・ラルー氏も描かれている
  • 礼拝堂内には、フジタ夫妻が眠る墓がある

フジタとゆかりの深い「シャンパーニュ・マム」にはレストランがあります。

歴史建築で、季節ごとに交代する一流シェフの料理とシャンパーニュのペアリングを楽しめます。

ランスを訪れる予定のある方は、観光ポイントと1日モデルコースをぜひ参考にしてください。

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